それでも戦えるということ、
人は、過去を言い訳にしてしまう。
自分は昔からこうだから、急にそんなこと言われても無理だよ。
自分はコミュ障だから、人前で話すなんて無理だ。
でも、本当にそうだろうか?
天才は最初から天才だった?
確かにそう言うことで、これから自分が努力したって仕方ないから努力しないって楽をする言い訳にはなるね。
でも、もし努力が意味がないとしたら、君は何のために生きている?
成長しないのなら、今ここで人生を終えてもいいんじゃないだろうか?
でも、それはしないだろう?
つまり、君は成長の可能性を信じているのだろう。
でもだからと言って辛い努力はしたくないんだろう?
でも、そもそも努力は辛いものだろうか?
本当に?
そう、努力は辛いものじゃないんだ。
辛い努力というのは、何のためにやっているのか分からず、どれくらいやればいいかも分からず、今どのくらいまで進んできたのか分からないものだ。
小学校のお勉強でも、勉強できない奴に限って「勉強って面白くないし、やる意味ないじゃん」ってね。
でもそれはその子が悪いんじゃなくて、その子にこの勉強がどんなふうに世の中の役に立っていて、どんな未来につながっているかを教えてあげれれない親、先生に原因があると思う。
きっとその子も将来なりたい夢があって、あとどのくらい、何を勉強すれば良いかを提示されれば少しは勉強するようになると思う。
君ももしかすると、勉強が嫌いかもしれない。
その原因は、他人と比較されるからかもしれない。
純粋に、自分の好奇心の赴くままに、何かに取り組んでみるのは、学生のうちまでなんて決めていないだろうか?
今日から、自分の好奇心を満たす活動を始めてみてはどうだろう。
年齢や、性格や、能力を言い訳にせずに、ただ取り組むんだ。