悩みは全て、”かくあるべき”から
悩みの全ては、”かくあるべき”から始まる。
大人ならかくあるべきなのに、自分はそうではない。
高校生ならかくあるべきなのに、自分はそうではない。
多分皆さんもそう言う事が何か一つはあるだろう。
ないと思う人もよく考えてみて欲しい。
あなたの悩みも、かくあるべきから来ていないだろうか?
僕自身の悩みは、体臭、虫歯、体型、頭脳、家族、仕事、人生についてだ。
どれも、他人に相談したことのないものだが、ここでは打ち明ける。
でも、そのどれもがかくあるべきからきている。
体は臭くないべきであるし、虫歯はないべきであるし、体型は細いべきであるし、
頭はいいべきであるし、家族は仲良くあるべきであるし、仕事は高年収であるべきであるし、人生は幸福であるべきである。
だがしかし、そのどれも叶える事が出来ていない。
でもよく考えてみれば、そのべきと言うのはただの理想であって、叶える事が難しいからこそ価値があり、だからこそそれをみんなが欲しているのだ。
しかし人間というのは、かくあるべきに従っているともれなく不幸になる。
そりゃもちろん途中まではそういうマッチョ的思考でもそこそこまではいけると思う。
でも途中で気づくはずだ、この苦しい戦いはいつまで続くのだろうかと。
そう、かくあるべきは探してみれば幾つでも見つかるし、上に行けば行くほど苦しい戦いになっていく。
そうなった時に道は二つある。
一つは苦しい戦いをそのまま続ける事、
そしてもう一つは、あるがままの自分を探しにいく旅に出る。
前者を選ぶ人はいないだろうから、後者の話をしよう。
あるがままの自分、それってなんだろうか?
”かくあるべき”でしか見てこなかった人はとても悩む事だろう。
でも、あるがままというのは案外と近くにいるはずだ。
一般解はないけれど、あなた自身のあるがまま。
簡単に言うと、あるがままというのは、心地のいい感じだ。
快楽じゃなくて、ユルッとした幸福感だ。
それをしていると、いつの間にか何時間も経ってしまうようなもの。
一日中取り組んでも、全く疲れないどころか、もっとしたくなるような事だ。
快楽は正直すぐに飽きてしまう、けれどもユルッとした幸福感はあきがこない。
いろんな何かに取り組んできたけれど、どれもこれもすぐに飽きが来てしまうって人は、まだそのあるがままにたどり着いていないと言う事だ。
いつか見つかる、あるがまま