決意、独白

日記は手を出したことはなかった気がするが、

こんなふうにブログ的な感じで自分の気持ちを吐いたり、整理するのは

結構続いている。

 

自分について、深く考えるのはこれまでの人生であまりなかったから、

とても新鮮な気持ちなのだ。

 

自分はこんなことを考え、こんな風に感じているんだと、思うこともある。

 

そして、心の中で、ずっと思っていたこともある。

それは、世間からすれば不道徳で、親不孝で、尊敬されないことだろう。

そう思って、自分はその考えが浮かんでもその考えを必死に消そうとしてきたし、

そしてそんな考えが浮かぶ自分の脳みそは罪深い、なんて思っていた。

その考えのせいで呪われて、自分に何か不幸が起こるのでは?なんて思ったことは何度もある。

 

しかし、振り返ってみれば、その考えのせいで起こった不幸など一度もないのだ。

自分は何に苦しみ、何を我慢してきたのだろうか。

 

我慢、だから自分は時にどうしようもない怒りが湧き上がり、それを友人などにむけてしまうことがあったのだろう。

そんなことでそこまですることないだろう、って言うほどの怒りを知人に向けたことがある。

 

我慢が当たり前すぎて、我慢している自分に自覚がなかった、だから自分が突発的に切れてしまう現象をコントロールできず、それを悩んだこともあった。

 

今思えば、我慢ばかりの自分だ。

 

嫌いな親、ほぼ毎週起こる夫婦喧嘩、理不尽な説教、

逃げ場のない家庭、学校では多分いじめられていた(当時は自覚がなかっただけで、多分いじめられていた。)、嫌いな友人との毎日の登下校、苦手な部活動、

優秀な人間からの見下し。

 

いろんなものに挟まれて、潰されて、窮屈に、できるだけ誰にも気づかれないように、

ひっそりと生きてきたのだ。

 

だから、自分は生きた心地、実感のようなものを感じたことがないのだろう。

 

これからは、人生を生きてみたい。

いや、生きるのだ、それが自分の人生の使命だ。

 

そしてできれば、自分のような理不尽な人生を送っている人の、助けをしたい。