ルルリル

本当は、自分の生きたいように生きるべきだろうし、

そうしない理由は存在しないはずだ。

 

ところが、親が自分の生きたいように生きていない場合、子供の人生に口出しが多くなる。

自分は生きたいように生きていないのに、なぜお前は生きたいように生きれて幸せそうなんだ!とね。

 

振り返って見れば、自分はまさにそんな家庭で育ってきた。

何かやれば馬鹿にされるし、何かできなくても馬鹿にされるし、例え何かをできたとしても馬鹿にされる。

 

子供に何か恨みがなければ、そんなことできないだろうということもされてきた。

それもきっと、全て自分の生きたいように生きれないことの恨み、それに比べて自由に生きている子供への恨みや怒りだったのだろうと。

 

想像してみてほしいが、親から怒りや恨みを受けて育つというのはとても苦しいものだ。それはまるで生きることを否定されているようなものだからだ。

 

学校の先生が怒るのは、学校で怒られても家庭では親に優しくしてもらえるからという想定の上だろう。

しかし、自分みたいに親にも怒られ学校の先生にも怒られ、何処にも居場所のない子供というのはどこで癒され優しくしてもらえるのだろう。

 

その上、学校でたくさん怒られる子というのは、ダメな子というレッテルを貼られ、虐められるのだ。

 

いじめだって?そんなの仕返ししたり悪口を言い返せばいいじゃないかって?

 

残念だが、僕はそんな能力を持っていなかったんだ。

 

なぜなら、家庭で親に言い返したり仕返しすることが許されていなかったからだ。

もしそんなことをすれば、殴られただろうし、家から出て行かされることだろう。

当時は、親を恐怖の対象としてしか見れなかった。

 

色々あったが、そのせいで自分は生きたいように生きれなくなったのだ。

選択は全て、他人次第。

自分から何かを決めて、何か行動できなくなった。